米軍三沢基地司令官主催「東日本大震災追悼行事」に参列して

令和3年3月11日(金)14:30~15:10 米軍三沢基地司令官ジェシー・フリーデル大佐主催による「東日本大震災追悼行事」及び「被災地域を支援した日米関係者の尽力を称える」行事が執り行われました。ご案内を受けましたので三沢市防衛協会を代表して会長野坂篤司が参列してまいりました。

会場である米軍三沢基地将校クラブ入口には、サーモグラフィーが準備され、ボールルームの式場内は、ソーシャルディスタンスが確保され参加者全員がマスクを着用しコロナ感染防止対策が取られていました。

追悼行事は、14:30から開始され、儀仗隊の入場、日米国歌独唱、お祈り、主催者の米軍三沢基地司令官紹介、ご来賓及び日米関係者が紹介された後、東日本大震災トモダチ作戦の概要がビデオで紹介されました。14:46黙とうが行われご冥福をお祈りいたしました。続いて、ご来賓あいさつでは、三沢市長小桧山吉紀様及び元米空軍少将マイケル・ラステーン様(東日本大震災発生時の米軍三沢基地司令官)がビデオメッセージでご挨拶されました。

最後に、フリーデル司令官から追悼行事等が執り行われた将校クラブボールルーム(部屋)の名称を「TOⅯOⅮAⅭHI ROOⅯ(ともだち ルーム)」と変更し、今後も日米友情促進の場所としたいと言われました(写真)。行事終了後入口上部に「TOⅯOⅮAⅭHI ROOⅯ」の看板が掲示されました。

追悼行事出席者は以下の方々でした。

米空軍関係者:米軍三沢基地司令官ジェシー・フリーデル大佐他各群司令等11名

米海軍関係者:米海軍三沢航空基地隊司令他第72任務部隊副司令官等3名

日本側関係者:東北防衛局長他2名

航空自衛隊三沢基地関係者:第3航空団司令兼三沢基地司令他4名

三沢市内の関係機関及び支援団体関係者:三沢市商工会会長他観光協会会長等7名

(左側から、みさわ国際交流協会会長、三沢国際クラブ会長、フリーデル司令官、三沢市防衛協会会長、三沢市観光協会会長、国際ソロプチミスト三沢会長)

 

東日本大震災では、皆様もご存じのとおり米軍の4軍(陸、海、空、海兵隊)の統合作戦として「災害救援活動:オペレーショントモダチ」を発動し在日米軍基地や米空母等の艦船も活用し2万人近い人員を動員して活動しました。

中でも3つほどの日米共同救援復旧活動や米海兵隊の救難復旧活動のエピソードを紹介させてください。詳しくはwebサイト及びYoutubeをご確認いただければ幸いです。

第1に「仙台空港復旧支援」、第2に「北海道陸上自衛隊の部隊移動」第3に宮城県気仙沼大島救難復旧支援」です。

第1の「仙台空港復旧支援」では、当初、復旧に6ヶ月位はかかるだろうと予想されましたが、1ヶ月で復旧し空港が使用可能となり、その後の東日本の復旧作業の基幹空港として活用できました。日米隊員によるスムーズな共同作業が実施できたこと、米軍隊員が日本人の習慣に沿ったきめ細かい復旧作業をしていただいたと聞いております。第2は、大型船舶の手配が間に合わづに自衛隊の部隊が北海道から動けない時に米海軍の強襲揚陸艦を使用して北海道から本州に移動できました。」これらは日ごろから日米共同訓練を通じ部隊運用について共通の認識があったからと思います。第3は、宮城県気仙沼港と大島が津波により連絡船や港が壊滅的被害を受けて大島に渡る手段がなくなっていました。大島には食料等の支援物資や復旧器材の輸送もできませんでした。特に、気仙沼港と渡島の港には津波で破壊されたがれき等が漂い船舶もなく港も使用できない状況の時に、強襲揚陸艦から上陸用舟艇を使用して米海兵隊員が救援物資と復旧器材を輸送し活動しました。大島には米海兵隊員が最初に救難復旧支援に到着したのです。

最後に、三沢基地からも自衛隊員及び米軍隊員も多く救難復旧支援活動を行いました。その後、翌年から米軍三沢基地隊員は、休日の合間を縫って毎年7月頃に三陸地域の被災地域を訪問し復旧支援と慰問を行っております。昨年はコロナ禍で慰問活動に行くことが出来なかったそうです。

三沢基地の自衛隊員及び米軍隊員の皆様、誠にありがとうございました。